ブログを書くことについて考えた

ここ数年、めっきりブログ更新することが減ってしまって、それは結婚や引越しを含めてバタバタと日々が過ぎていたこと、同居人が増えたので黙ってPCに向かう時間が減ったこと、日々の思うことなどはTwitterに垂れ流して気が済んでいたこと、要因はいろいろ。一旦書かなくなると、自分のなかで書くためのハードルが上がってしまい「あの時書かなかったんだから、今回もいい」となる悪循環。その結果、このブログに日々の出来事がまったくストックされなくて、ブログ更新してた頃なんかは「そういえばあの時のライブどんな感じだったかなー」という時に備忘録として使えていたのに(このブログの最も熱心な読者は僕だ!)、それが出来なくて、なんというんでしょう、思い出を捨てちゃったような感情がわいておりました。

もうひとつ別の話。僕には大学時代にチャットで知り合った人が居て、その人の文章や嗜好がかっこよろしいなとリスペクトしており、相手がどう思ってるかは別として僕はインターネット上の友人のようなものだと思ってた。その人がある日、Twitterからもはてなからも消えたんですね。けっこう頻繁にreply飛ばしあってたのに、消えられてしまうと、もう連絡とれないじゃん…と愕然としてしまって。そんなのって当たり前なんですが、あらためてインターネット上の関係なんて儚いんだなあと気づいて悲しかったのでした。(結局彼は戻ってきたし新たにはてなブログも始めた)

そのようなことを通過している間、ぐうぜん読んだid:ohesoさんの日記に感銘を受けてしまったのです。

もっとフランクで、でも140文字よりも長くて、かつそこまで調べてなくてもなんとなく許される日記っぽくて、かといってワキの甘い内容でもみんなに血祭りに上げられないような社会の速い流れからはちょっと離れた寛大な空間で、コミュニケーションを強制されるでもなく、でもクローズドじゃなくて、しかも寂しくない。そんな場所があるといいよなあ、とかつらつらと考えています。この世にそんなものはあるんだろうかねえ。

http://d.hatena.ne.jp/oheso/20120603

そう。そんな場所を求めてたのもあってブログ始めたんだよな…とじーんとしてしまいまして。で、ブログ開設した頃に思いを馳せていたら、ここって自分の居場所だよなという意識が強くなってきて、自分の居場所に自分が居ないことって自分として寂しいな?と。ようし、これからはちょうハードルを下げてブログ更新しよう、あるいは更新できなくとも自分のイドコロを明確にするためTwitterはてなに貼ろう等々、小規模な決意を固めるに至りました。

この1ヶ月間リハビリのように書いてみて改めて気づいたのは、下手くそでもやっぱり文章を書くっていうのはたのしい。どんな風に書こうかなーどこに点を打とうかなーとか考える、そんなことでワクワクしてた。公開ブログは、書くこと自体が娯楽だ。引き出しに締まった日記帳じゃなかなかこうはいくまいよ。ああ、なんて贅沢な遊びを僕は見逃してたんだろう、というわけで、もうしばらくよろしくお願いします。